後藤新平。台湾の近代化に尽くした英雄

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台湾にゆかりの深い日本人としてよく名を聞く、

台湾総督

後藤新平。

 

台湾好きの皆様なら一度は

 

耳にしたことがある名前ではないでしょうか。

 

実際、後藤新平は日本統治時代の台湾で、

 

どのような功績を残したのでしょうか?

 

この記事で詳しく紐解いていきたいと思います。

 

何度も台湾に足を運んでいるという方も、

 

台湾史をめぐる旅という視点で計画を立てたら、

 

また新たな台湾を発見できるのではないでしょうか。

 

 

 

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日本の台湾統治に大きく貢献。後藤新平とはどんな人物? 評価は?

 

 

後藤新平は、江戸時代から昭和初期に

 

あらゆる分野で活躍した医師・政治家です。

 

 

肩書きは医師や政治家であっても、

 

 

その職業の粋を出て台湾の近代化に尽くした、

 

台湾近代史を語る上では

 

外せない重要な人物です。

 

後藤新平は元々

 

愛知県で医師をしていましたが、

 

その実績と才能で

 

内務省の衛生局に入局し、

 

衛生事業に従事します。

 

 

 

その後、

 

ドイツへの留学を経て医学博士号を得、

 

 

衛生局長の地位も与えられます。

 

衛生局長時代には、

 

 

日清戦争後の

 

日本に清からのコレラ流入を防ぐため、

 

 

各所からの反対を押し切り、

 

 

たった3ヵ月で

 

戦争帰国者213万人以上の検疫を行いました。

 

 

この行政手腕の巧みさから、

 

 

当時台湾総督となった

 

 

児玉源太郎から高く評価され、

 

補佐役として台湾に渡ります。

 

 

 

その当時日本の統治で同じ国であった台湾では、

 

 

 

台湾総督府という行政機関をつくり、

 

 

台湾統治政策に当たっていました。

 

後藤は台湾に古くから存在している

 

慣行制度を認めながら行いました。

 

 

 

後藤新平の言葉で

 

「ヒラメの目をタイの目にすることはできない」

 

 

というものがあります。

 

 

これは“それぞれの土地の固有のあり方を無理に変えず、

 

 

 

その地に見合った改良をする”

 

という考え方で、

 

 

武力による統治とは

 

明らかに一線を画した

 

経営思想でした。

 

この思想は高い評価を得ています。

 

 

現在でも台湾に親日な人が多いのは、

 

後藤新平の功績もあるのです。

 

 

 

後藤新平が行った具体的な台湾統治の政策とは?

 

 

 

後藤新平が民政局長として着任した

 

当時の台湾は、

 

 

財政的に破綻状態でした。

 

 

 

そんな中で後藤は、

 

 

徹底した調査事業に基づく

 

 

経済改革とインフラ建設を進めました。

 

 

 

台湾統治時代の50年間で、

 

人口は260万人から650万人に増加しています。

 

 

この人口増加にも、

 

 

後藤が実施したあらゆる政策が

 

大きな基盤となり関係しています。

 

後藤新平の行った代表的な政策や、

 

統治時代の功績は以下の通りです。

 

 

 

 

1、社会治安の確保

 

 

台湾の古くからあった制度の

 

「保甲」を利用した

 

警察制度を確立しました。

 

 

 

戸籍調査、

 

出入者管理、

 

伝染病予防、

 

道路・橋梁建設などが

 

すべてこの保甲を通じてなされ、

 

 

 

台湾統治のための

 

効率的な住民組織として

 

機能しました。

 

 

 

 

 

2、財政金融制度の確立

 

 

後藤新平の着任翌年には台湾銀行が設立され、

 

 

これにより貨幣が統一され、

 

 

 

インフラ設備などに要する

 

大量の資金が

 

この台湾銀行の事業公債により

 

調達されました。

 

 

 

 

3、インフラ整備の実施

 

 

併合については

 

正しく歴史が教えないので誤解がありますが

 

日本が行った統治は

 

植民地にされた国々とは違い

 

台湾のインフラ設備は

 

類を見ない充実ぶりで、

 

このほとんどは

 

後藤新平の時代に着手されたものでした。

 

 

台湾鉄道の敷設も行っており、

 

 

基隆から高雄間の縦瑚貫鉄道の建設と

 

それに伴う

 

土地や道路の建設、

 

 

拡充を実施した結果、

 

 

 

陸海の運輸能力が格段にアップし、

 

飛行場の建設も始まったそうです。

 

 

 

後藤新平の時代に、

 

 

道路、

 

上下水道、

 

下水、

 

航路、

 

郵便、

 

通信など

 

あらゆるインフラが整備されました。

 

 

10年の時をかけ

 

珊瑚潭ダムも完成させています。

 

 

 

 

4、あらゆる経済産業政策の実施

 

 

台湾で当時流行していた

 

阿片撲滅のため、

 

阿片吸引を免許制とし、

 

 

専売制を取って

 

段階的に税を上げ、

 

対策を取りました。

 

 

 

一挙に取り上げるのではなく

 

段階的に減らしていくことで、

 

阿片を追放することに成功しました。

 

 

また、精力的に米の品種改良を行い、

 

 

「蓬莱米」として

 

知られる新品種の開発にも貢献し、

 

 

台湾の産業の柱を作りました。

 

 

そして後藤新平でもう一つ有名なのが、

 

 

 

製糖業の近代化による、

 

 

台湾製糖株式会社の設立です。

 

 

 

 

台湾の製糖業は、

 

 

茶・樟脳(しょうのう)に並ぶ三大輸出産業で、

 

搾糖の技術を革新して

 

栽培方法を改良することにより、

 

 

 

さらに安定した

 

産業へと発展させました。

 

 

 

 

後藤新平の時代に

 

作り上げられた

 

製糖会社は様々に形を変えながら、

 

今も歴史ある企業として

 

「台糖」と呼ばれ活躍しています。

 

 

 

 

5、社会、教育政策

 

 

亜熱帯気候である台湾を悩ませてきた

 

 

不衛生と疫病対策として、

 

 

予防接種の義務化を図りました。

 

 

また、鉄筋コンクリート製の上下水道を敷設し、

 

 

衛生面での改善を図りました。

 

 

また、教育の拡充により

 

 

台湾国民の識字率の向上も図っています。

 

 

 

後藤新平の時代に

 

 

台湾大学医学院の前進である

 

台北医学学校も設立され、

 

 

医学教育にも力を入れていたことがわかります。

 

 

 

 

6、調査、研究事業の推進

 

 

後藤新平は就任半年後すぐに

 

 

土地・人口調査事業を開始し、

 

 

台湾の現状を徹底的に調べ尽くしました。

 

 

この調査を通じて

 

 

台湾全土の耕地面積や地形を知り、

 

 

地租徴収の基盤が整えられました。

 

さらに、

 

 

「戸籍調査令」を発令し、

 

これに基づいて

 

本格的な人口調査を行いました。

 

 

 

 

後藤新平がつなぐ台湾と日本。

 

 

後藤新平という人物が、

 

いかに台湾の発展に貢献したか、

 

 

お分かりいただけたのではないでしょうか。

 

 

現在も台湾観光の

 

鉄板の場所である

 

国立台湾博物館の旧名称は

 

 

「児玉総督および後藤民政長官記念博物館」

 

 

だったと言われています。

 

 

 

それほど、

 

台湾統治時代の後藤新平の功績は

 

大きかったということが分かります。

 

皆様も台湾を訪れる際は、

 

後藤新平ゆかりの地にも

 

足を運んでみてはいかがでしょうか。

 

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